柏崎刈羽の地震・火災・内部溢水について考える

地震の件:
2007年7月16日におきた中越地方の震度6の地震による事件自体は、前提となる活断層調査がいい加減だったことが原因で、これでは2006年に出したばかりの耐震新指針も意味がありません。
「設計想定値を大幅に超える地震だったが、原子炉本体が壊れなかったから良かった」と原子力安全委員長鈴木篤之氏も東電社長も話していますが、そんなことを云うなら「もんじゅ事故は放射能も全く外部に出ず、あれは事故どころか、ゴミ事件だった」といっているのと同じです。
「指針を自分たちの都合の良いように解釈している、こういう組織は信頼できない」というのが一般人の常識で、これに対応できない限り、いくら「ハードウェアが大丈夫」と言っても信頼されません。

私は、地震については専門ではありませんが「想定の3倍の地震がきたが、3倍の余裕を持って耐震設計していたので、3x(1/3)=1で、結果はノープロブレム」という主張がおかしいと思います。この主張は「貴方のお子さんやお孫さんが、目隠しをして塀の上を落ちずに歩いたとしたら、貴方は「良くやった」と、それを褒めるのですね?」というようなものです。たまたま、メーカー、というより建設会社は(予算が貰えたので)昔は、余裕を大きく取って設計していたわけです。安全係数=3は、何の根拠もなく、また、今後の国際的な競争下においては、保証されません。
日本では、実際に塀から落ちて、つまり実際の事故にならなければ、何もしないのでしょうか?
日本の事業者や規制当局が、結果オーライで押し通すなら、市民の感覚とますます乖離して行きます。市民との「対話」が無意味なものになります。市民は「原子力を担う人間が信頼できるかどうか?」を聞いているわけです。それに対し「ハードウェアが大丈夫だったから、ノープロブレム」という回答は、何の意味(効果)もありません。
(2007/10に10行追記)


K3火災の件(地震で変圧器が火災を起こし、2時間も鎮火できなかった):
「原発の火災は「想定外の想定外」と関係者が語った」という報道がありました。
そもそも、日本の地震指針には火災防護は規定されていなくて、また、火災防護指針にも地震時の火災防護の規定はありません。日本の火災防護指針は数頁、電気協会の指針でさえ30頁しかなく、公開された火災防護設計書は2頁しかありません。
これに対して、米国の規制指針は数十頁で、民間指針も合計すると数百頁になります。また、米国プラントの火災防護設計書は200頁もある膨大で詳細なものとなっています。このことから、日本の原発の火災防護規制は米国より格段に劣っていると云わざるを得ません。米国では、消火配管が地震で壊れないよう、設計されています。地震国でない米国でもそうしているのに、地震国の日本の火災防護は全く不十分です。


自衛消防隊の無能さ
米国の殆どのプラントでは、火災防護に関する専門知識をもち、訓練を受けた専従者がおり、自衛消防隊を組織しています。
今回の事件では、国内原発の自衛消防隊が有効でなかったわけです。これも、そもそも、原発で火事が起きたときの想定(規定や指針)が不十分で「火事は起きない」と思っている、つまり、自信過剰(過信)になっていることが原因と思えます。


BWRはなぜ火災が多い?
残念ながら、国内統計では、BWRはPWRの10倍の頻度で火災が起きています。BWRは格納容器に窒素封入をしていて、原子炉周りでは火災が起きないから油断しているのか、そもそも、BWRは可燃性廃棄物が多いのか、など、よく研究すべきです。
今回、発火した変圧器が所内変圧器でなく、起動変圧器だったら、外部電源喪失事象、つまりステーションブラックアウトです。もし、そうなれば、何が起きても不思議ではありませんし、社会的影響も甚大になってでしょう。紙一重だったのではないでしょうか。(バックアップにディーゼル発電機がありますが、あれが作動すると信じているなら、脳天気を絵に描いた人たちです。)


柏崎市長の原発停止命令

7月18日に「柏崎市長は、東京電力の勝俣恒久社長に対し、消防法に基づき、柏崎刈羽原発の全号機の運転停止命令を出した」との報道があったのには驚きました。もしそうなら、原発の安全性のうち、火災は、市長や村長が責任を持つと言う、おかしな法規制体系と言うことになってしまいます。「原発の安全性は国が一元化して負うべき」という国際ルールに違反しています。いつからこんな不可思議な体制になっていたのか、と思いましたが「もんじゅ事故の時にも出された」との報道で、10年以上前からこういう体系だったとのことです。原発は事故が起きると国民全部がひどい目にあうから、国が責任を持って一元化すべきです。


柏崎市長のディーゼル発電機停止命令
原子炉停止後も、核燃料は放射能による発熱があるので、燃料冷却をRHR(残留熱除去系)で行ないます。このRHRの運転は、所外電源(外部送電線からの電気)でなされています。もし、落雷などでこれが切れると、非常用所内電源(ディーゼル発電機)が起動します(信頼できないシステムですが)。これも起動しないと「ステーション・ブラックアウト」です。

所で、柏崎市長は7月18日、全号機の油タンクの使用停止命令を出したので、このディーゼル発電機も使用停止命令が出されたことになります。東電はこのことに気がついて、7月24日に、非常用発電機の稼働許可を柏崎市に申請し、柏崎市は稼動を許可したことが明らかになりました。
機械が停止すれば安全、というのは、原子炉には当てはまりません。(そういえば、志賀の臨界事故も原子炉停止時の事故でした。)このような人間に原子炉の安全を委ねていたかと思うと、上に書いた「市長に規制の一環を委ねることの過ち」が良く分かります。こんなことを傍観した保安院も情けない。

この件も、「ステーションブラックアウトにならず、原子炉停止ができ、放射能も出なかったのだから、ノープロブレム」という主張がおかしいと思います。この主張は「貴方のお子さんやお孫さんが、目隠しをして塀の上を落ちずに歩いたとしたら、貴方は「良くやった」と、それを褒めるのですか?」というようなものです。


内部溢水の問題
K3で消火できなかった原因は、地震で消火配管が破損したから、と報道されています。また、K1号機では、消火用配管が壊れて地下5階に1600トンもの水がたまっていた、との報道がありました。さらにK6燃料プールから放射能を含んだ水が溢れて、原子炉外部へ漏洩した、という事件がありました。日本の規制指針には「内部溢水」に対する規制がありません。ですから、規制自体が欠陥品です。
「燃料プール水の大量溢れは想定外」という報道もありましたが、大型タンクの液体がゆっくりした地震で揺れる事象(スロッシング)は流体事象関係者には良く知られていて、苫小牧の石油タンク火災の原因でした。原子力関係者の怠慢ということです。


IAEA調査団の件
IAEAエルバラダイ事務局長の「原子炉破損に係わらず調査をすべき」との発言が新聞に報道され、その後、政府が当面見送りを発表し、新潟県知事は受け入れ要請を出したとのニュースがありました。
「新潟県は、政府と東電が信用できない(からIAEAに調査をして欲しい)」と、云っているわけです。本件、最終的に受け入れるそうですが、情けない。


見事な無駄遣い=オフサイトセンター
7月27日に東京新聞が、「オフサイトセンターが活用されていない実態が明らかになった。原子力施設が立地する全国二十二カ所に、国が300億円を投じて建設した施設だが、原発を地震が直撃したにもかかわらず有効利用しなかったことは無駄なハコモノ」と報道しました。全国紙が報道しなかったのは何故だか分かりませんが、東海村JCO事故を受けて制定された原子力災害対策特別措置法の目玉だったものが、実は、単なる張子の虎だったことが明らかになりました。
関係者の言い訳を聞いていると、「放射能事故でないので、作動しなかった」ということのようです。しかし、上に述べたように、地震と火災がリンクする事態もありえた訳で、「放射能が出なければノープロブレム」という原子力思想に問題があるのでは?という気がします。


安全文化の崩壊
日米欧の火災防護を比較した結果、欧米の規制当局も事業者・メーカーも「火災は起きる」という前提で、設計をしている、ということがよく分かりました。
それに対して、国内はどうであったのでしょう。結局、人間は、自分の(短い)会社員生活の中で「今まで起きていないから、もう起きない」と思ってしまうということなんでしょう。これが安全文化ということです。規制当局も事業者も、安全文化を確立できていない、と云わざるを得ません。
結局、失敗や事故が起きてから反省をして改善をする、これを英語でツームストーンセーフティ(墓石型安全対策=誰か死者が出てから対策を取る方式)というのですが、日本の安全文化は、志賀の臨界事故にしろ、柏崎の地震火災にしろ、結局、墓石型安全文化である、というのが、唯一最大の問題です。

英国の安全工学の権威ジェームズ・リーズン教授が近著「保守事故」の中で、「保守における最大のリスクは(原子炉本体などの工学問題ではなくて)保守をする人間と組織にある」と述べています。一般人は、このことを直感的に理解しているのでしょう。つまり、事業者や規制側の安全文化が崩壊していて、「このような組織に任せておいて大丈夫な訳がない」と心配するわけです。だから、「原子炉本体が大丈夫だった」といっても、何の効果もないことです。


根本的な対策案
このようなことに対する根本的対策は一つしかありません。日本の原子力安全委員会を廃止して、台湾やスペインのように、すべて「米国の規制を採用する」しかありません。地震国でない米国でさえ、十分な地震・火災対策を規制しているのだから「日本独自の規制をする」というのは、実は、「日本だけ緩い規制をする」という欺瞞であり、国民に対する犯罪行為です。日本独自の地震対策をした、というのが「猿知恵」だった訳です。従って、日本の原子力安全委員会を廃止して、台湾のように、すべて「米国の規制を採用する」とするしかありません。そうすれば、最近の米国のように、安全性と経済性の優れた原子力になると思います。






以上、2007年7月。 日本システム安全研究所 吉岡律夫

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